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無題

2014.04.24.11:56

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この世に生まれてきて成すべきこと、僕の謎なる「X」は一体なんなのか。
目の前にあることにコツコツ取り組むその先に見えて来るであろうもの。


ところで、南無阿弥陀仏の阿弥陀(アミダ)とは否定の接頭語「ア」と量る(はかる)という意味の「ミタ」。
つまり「はかることができない」
もしくは「無・意味」という説も。

予定、計画、希望、夢、未来像が叶うことを幸せと設定してしまうところに、逆に人生の絶望が待っているということもある、ということか。

幸せは達成すべきものではなく、感じるもの。
磨くべきは、いつどこでもそれを感じれる心。

そうすれば、絶望することすら「無意味」であり、いつでもそこに、また新しい光がさす可能性があると知れるのかも知れない。

そう。大事なのは、いつでも、まだ可能性があるんだという事実。
そこにこそ、僕らが何かに燃える、もしくは志半ばで燃え尽きてしまうこともできる心の立脚地があるのかも。
そしてその「可能性」が「可能」に変わるのは、何も自分の寿命のずっと先の未来でもいいじゃないか。

その時僕は救われる。
僕の先祖も救われる。
僕が食べてきたものも救われる。
失敗も挫折も成功も余興も喧嘩も恋愛も失恋も、全て救われる。
安心して、落ちこぼれていることができる世界へ。

上へ上へ!ノボレノボレ!と。
上にはいい世界があるんだよと言われ続けたけれども。

上を作れば同時に下ができる。

上からは、下を見下ろす。
下からは、上を見上げなければいけない。
それはどうだ?

才能。天賦の才能。
「天賦」故に、文字通り、それを得た者が誇る類のモノではない。
自分でこしらえたもんじゃないんやから。
きっと才能は、まわりのみんなに良い影響を与えることができて、初めて才能と呼べると思う。
その人の才能はみんなのもの。

お金にも才能がある。
もちろん貯まった金額がその才能を量るモノサシではない。
それを使うことで生まれた「純粋な笑顔」の数でのみ量り得るのかも知れない。

おっと!話はあちこち迷走しましたが(笑)
「人に一番必要なのは、隣にいる誰かの笑顔である」
内田樹さんの言葉をまた思い出したのです。

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