秋分の日 彼岸
2016.09.23.23:55
岐阜県の曹洞宗寺院・林陽寺。
彼岸のお中日、秋分の日に素敵な集まりがありました。
「ハレの日の 祝い唄」
唄 ・森ゆに
音響・田辺玄
作灯・河合悠
林陽寺はcafe watotoでもヨガイベントを開催してくれている岩水ゆきゑさんのご実家のお寺。
その会場である本堂を飾るのは、これもwatotoではお馴染みの河合悠さんのろうそく。
温かく仄暗い炎の灯りの中、森ゆにさんのピアノに透き通る歌声。
揺らぐ虫の音。
雨の匂い。
時折ほほにあたる秋の夜の風。
荘厳された本堂に座る我等。
それらすべてで生成された貴重な時間を味わうように堪能してまいりました。
みなさん、ありがとう。





そして、こんな贅沢な時間を来春にはきっと小浜でも。
ですよね~!ゆにさん、玄さん、悠くん、ゆっきー!
さて、彼岸とは。
太陽も星も、月も惑星も、東で生まれ、西に滅する。
帰る世界の象徴、それが西。
真西に陽が沈む秋分の日に、もう沈んだ者たちを思い、まだ沈まぬ我を見つめる。
ある日ぽとりとこの世に生まれた我等。
何をしに来た?今何をしている?これから何をするの?あなたは本当は誰?
それがわからない者を「迷子」という。
「どこから来たの?」「名前は何?」「帰るお家はどこ?」って迷った子どもは答えられないでしょ。それと同じなのかもしれない。
その迷子のような我々に一つの方向性を与えるもの。「彼の岸へと渡れ」と。
此の岸のあらゆる活動は「欲」より発動する。
そしてそれがまた人を悩ませ傷つける。
経済活動、人間関係、老病死観。
我欲我執で諸問題を対処すると、ついには願いが叶わず悲泣する。
悲泣する者に「欲の成就」が「幸せ」ではないことを教えるのが彼の岸の法。
我欲の達成ではなく、自分の欲を欲と正しく認識する能力。それがその人自身を救うと。
つまり、ほとけの教えにうなずいた者の中に、その法が生まれ、生まれた法が今度はその人を救う。人が人を救いとるのでなく、悩む人の中に生まれた新しく透明な価値観がその悩みを解消させてくれる。
もし世間のルールで行き詰ったならば、出世間のルール(法)に耳を傾けるのが良いのかも知れないですね。
悩める人よ、お寺の門を叩こう!
彼岸のお中日、秋分の日に素敵な集まりがありました。
「ハレの日の 祝い唄」
唄 ・森ゆに
音響・田辺玄
作灯・河合悠
林陽寺はcafe watotoでもヨガイベントを開催してくれている岩水ゆきゑさんのご実家のお寺。
その会場である本堂を飾るのは、これもwatotoではお馴染みの河合悠さんのろうそく。
温かく仄暗い炎の灯りの中、森ゆにさんのピアノに透き通る歌声。
揺らぐ虫の音。
雨の匂い。
時折ほほにあたる秋の夜の風。
荘厳された本堂に座る我等。
それらすべてで生成された貴重な時間を味わうように堪能してまいりました。
みなさん、ありがとう。





そして、こんな贅沢な時間を来春にはきっと小浜でも。
ですよね~!ゆにさん、玄さん、悠くん、ゆっきー!
さて、彼岸とは。
太陽も星も、月も惑星も、東で生まれ、西に滅する。
帰る世界の象徴、それが西。
真西に陽が沈む秋分の日に、もう沈んだ者たちを思い、まだ沈まぬ我を見つめる。
ある日ぽとりとこの世に生まれた我等。
何をしに来た?今何をしている?これから何をするの?あなたは本当は誰?
それがわからない者を「迷子」という。
「どこから来たの?」「名前は何?」「帰るお家はどこ?」って迷った子どもは答えられないでしょ。それと同じなのかもしれない。
その迷子のような我々に一つの方向性を与えるもの。「彼の岸へと渡れ」と。
此の岸のあらゆる活動は「欲」より発動する。
そしてそれがまた人を悩ませ傷つける。
経済活動、人間関係、老病死観。
我欲我執で諸問題を対処すると、ついには願いが叶わず悲泣する。
悲泣する者に「欲の成就」が「幸せ」ではないことを教えるのが彼の岸の法。
我欲の達成ではなく、自分の欲を欲と正しく認識する能力。それがその人自身を救うと。
つまり、ほとけの教えにうなずいた者の中に、その法が生まれ、生まれた法が今度はその人を救う。人が人を救いとるのでなく、悩む人の中に生まれた新しく透明な価値観がその悩みを解消させてくれる。
もし世間のルールで行き詰ったならば、出世間のルール(法)に耳を傾けるのが良いのかも知れないですね。
悩める人よ、お寺の門を叩こう!