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であいとわかれ

2015.10.21.08:02

人生は「であいとわかれ」

鮮烈にその事を我に刻んで

潔くも故郷へ帰っていった命ひとつ。

出会ったときが、別れのはじまりでした。

その間、約一年

病と闘い、病と生き

そして病を受け入れた尊き姿。

「死に直面しています」そう彼女が言った時

憂いているのは自身の死後の世界ではなく

自分が居なくなった後のこの世界のことでした。



死にゆく者は、生いている者に

音のない問いを静かに投げかけ続ける

生きる者はそれを心の耳で聞かなければならない



そしていつか

その悲しみの場所に

美しい華が咲く事を祈る

合掌する手のひらのような

無垢な華が

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無題

2014.04.24.11:56

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この世に生まれてきて成すべきこと、僕の謎なる「X」は一体なんなのか。
目の前にあることにコツコツ取り組むその先に見えて来るであろうもの。


ところで、南無阿弥陀仏の阿弥陀(アミダ)とは否定の接頭語「ア」と量る(はかる)という意味の「ミタ」。
つまり「はかることができない」
もしくは「無・意味」という説も。

予定、計画、希望、夢、未来像が叶うことを幸せと設定してしまうところに、逆に人生の絶望が待っているということもある、ということか。

幸せは達成すべきものではなく、感じるもの。
磨くべきは、いつどこでもそれを感じれる心。

そうすれば、絶望することすら「無意味」であり、いつでもそこに、また新しい光がさす可能性があると知れるのかも知れない。

そう。大事なのは、いつでも、まだ可能性があるんだという事実。
そこにこそ、僕らが何かに燃える、もしくは志半ばで燃え尽きてしまうこともできる心の立脚地があるのかも。
そしてその「可能性」が「可能」に変わるのは、何も自分の寿命のずっと先の未来でもいいじゃないか。

その時僕は救われる。
僕の先祖も救われる。
僕が食べてきたものも救われる。
失敗も挫折も成功も余興も喧嘩も恋愛も失恋も、全て救われる。
安心して、落ちこぼれていることができる世界へ。

上へ上へ!ノボレノボレ!と。
上にはいい世界があるんだよと言われ続けたけれども。

上を作れば同時に下ができる。

上からは、下を見下ろす。
下からは、上を見上げなければいけない。
それはどうだ?

才能。天賦の才能。
「天賦」故に、文字通り、それを得た者が誇る類のモノではない。
自分でこしらえたもんじゃないんやから。
きっと才能は、まわりのみんなに良い影響を与えることができて、初めて才能と呼べると思う。
その人の才能はみんなのもの。

お金にも才能がある。
もちろん貯まった金額がその才能を量るモノサシではない。
それを使うことで生まれた「純粋な笑顔」の数でのみ量り得るのかも知れない。

おっと!話はあちこち迷走しましたが(笑)
「人に一番必要なのは、隣にいる誰かの笑顔である」
内田樹さんの言葉をまた思い出したのです。

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花のいのち

2013.10.29.13:23

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小瓶に咲く花
お祝いの花束
床の間の生花
お花の髪飾り
仏壇に供える
死者を弔う花

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遠く原始の人々の
埋葬地にのこる花粉の形跡

花を切ったら花が可哀想なのか
花の幸せは花に魅入られる存在がいることなのか

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蝶にとっては食卓
少女にとっては夢
疲れた人には癒し
盛んな人に華やぎ
病める人には慰め
死せる者には弔い

誰かのために役に立つなんて
その人が決めることではない
周りがそう感じることだろう

ふと、花のような人になりたいと


コスモスはコスモス
ひまわりはひまわり
キンモクセイも然り
路に咲く知らぬ花も

ただ自然にそこに居るだけが

それが誰かの喜びに

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壊すべきもの

2013.10.17.06:59

自分の既存の価値観を疑って、一度全部壊してしまいたい。

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交通事故は車社会には止むを得ないとか、一度覚えた便利さからは抜け出せっこないとか、経済は成長し続けなければいけないとか、男はどうだとか女はどうだとか、犬はこうあるべきだとか。。。
もっと言うと、山があって川があって里があって海があって空があって太陽があって平均的な気候がずっと続くのが普通で。。。
自分はいつも正しくて相手はだいたい間違ってて、それやのに誰もわかってくれなくて。。。


そんな固まった考え方を、一度全部壊してしまって、まっさらな気持ちで物事を見ていけるようになりたい。
自分に差し挟まず、中立的に考えていけるように。
あらゆることを当然だと思わず、驚きと感動をもって接していけるように。

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土地は誰のもの?

2013.09.07.22:47

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その土地が先にあってそこに生まれた。
その土地が先にあってそこに移り住んだ。
その土地があって生活のすべてが成り立った。

そんなその土地を「所有」するってなんだ?

その所有した土地は縦○m、横○mの広さ。
深さは?どこまで所有?ブラジルまで?
そこにある土も、そこに住む小さな生き物も所有できるん?

間違いなく遅れてやってきた僕らが、「私の土地だ」と言い得るそこに、なんだか違和感を感じるのは僕だけなんでしょうか。
そこは自分だけのものとして自由に使い、汚し、あらゆる権利を主張していいものなのか。(ついついしてしまいますが)
それとも逆に、そこに住むものとしての義務として、その土地をみんなのために生かし、きれいに次世代へ手渡すように心掛けるべきものなのか。(ついつい忘れてしまいますが)

所詮、人間は、汚染をする存在。
食べたら出るし、垢も出るし、ゴミも出す。
それを懐深く受け止めて、きれいにしてまた与えてくれるのが土地や自然。
そこに懺悔と感謝の気持ちがあるかないかが「人」か「人でなし」かの違いと、かつて教えてもらいました。

土地は「所有するもの」というより「預かりもの」の方が、しっくりきます。


プロフィール

cafe watoto

Author:cafe watoto
福井県小浜市
忠野9-14
電話:0770-56-3893
定休日:木曜日・日曜日
時間:11:30〜夕暮れ
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